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日本カウンセリング学会第44回大会でのポスター発表と國分康孝先生 [コラージュ療法&創作コラージュ療法]

★ 私が講師役を承っている放送大学心理臨床研修会新潟の有志メンバー5人が,上越教育大学で行われた日本カウンセリング学会第44回大会で共同ポスター発表をしてきました.

★ タイトルは『うつ病や抑うつ状態の不安悪循環を防ぐカウンセリング法研究』,副題は『クライエントと理解が共有できる「創作コラージュ療法」事例を通して』でした.

★ 共同ポスター発表はまず小論文の冒頭で,
 『うつ病や抑うつ傾向のクライエント(以下Clと略す)の多くは,「①症状そのものによる苦しみ」,「②快復見通しがはっきり立たないことによる,不安からくる苦しみ」といった二重苦を併せもっている.
 その結果,不安からくる苦しみが症状を悪化させ,それがまた不安を募らせ更に症状を悪化させるといった悪循環が繰り返されることが多い.
 本研究はClにも理解できる創作コラージュ療法を用いることによって,そのような悪循環を断ち切りながら症状の改善や課題解決を進めるカウンセリング法の研究に関するものである.
 つまり,カウンセラー(以下Coと略す)だけでなく,Clにも理解し易いコラージュを心理アセスメントやカウンセリングに用いることにより,不安を軽くしながらClの症状改善・課題解決に寄与しようとするものである』
……と,その発表目的を述べることから始め,その後,事例を紹介しながら創作コラージュ療法を用いてのカウンセリング法を解説するといったものでした.

★ 共同ポスター発表には,自分の発表をそっちのけで説明を聞きに来て下さった大学院生の方から,「分析はねぇ~」と批判的な立場で議論をしにきた方まで色々な方々にお越し頂いたそうです.

★ 前者のような方はともかく,後者のような方が未だにいらっしゃることには,本当に残念に思わざるを得ません.

★ 心理臨床やカウンセリングの世界は『机上論や空想論』で成り立っている学術領域ではなく,『臨床現場やカウンセリング現場で役立てることを前提に研究が進められている実践的学術領域』だからです.

★ 私たちはその昔,ナタリー・ロジャーズの表現アーツ・セラピーを学び実践を始めました.

★ その後,より有効なアート・セラピーを志向してコラージュ作品の「分析も行う」創作コラージュ療法にたどり着きました.

★ 従って非分析派のコラージュ療法も,分析派のコラージュ療法も経験した上で,「分析も行う」方が善いという結論に達しました.
※:正しくは,分析しフィードバックした方が善いClの方には分析を行い,分析してフィードバックしない方が善いClの方には分析をしない,というのが私たちの立場です.

★ 私が識る限り,はじめから「分析はねぇ~」と否定的に論戦を挑んでこられる方は,そもそも分析したことも,分析技法を研究したことも全くない方がほとんどです.

★ はじめから「分析はねぇ~」といった議論を挑んでこられる方,私が心から尊敬している数少ない先生の一人でもある元日本カウンセリング学会会長の國分康孝先生が,日本カウンセリング学会報59号リレー・エッセイ:『新米カウンセラーであったころ』にお書きになった記事を,日本カウンセリング学会員ならお読みになっていらっしゃると思うのですが,どのような感想をお持ちになったのでしょうか?

★ 國分康孝先生の『新米カウンセラーであったころ』:【ロジャーズかぶれ】
 私は二十代のある時期,ロジャーズに心酔していたことがある.
 そんなある日,ある母親からこんな相談を受けた.
 「私には12歳の子どもがいます.しかし,ある病気のために20歳までしか生きられないのです.母親の気持ちとしては,わがまま放題にさせてやろうという気持ちと,きちんとききわけのよい子に躾けるべきかという気持ちが相闘っています.私はどうすればよいでしょうか」
 私は「どうすればよいか迷っておられるわけですね」といった類の応答しかしなかった.
 その母親が立ち去ったあと私は罪障感を持った.人がはるばる来訪されたのに,何のたしにもならない面接だった,と.
 そこで私は師匠の霜田清志先生まで出かけていった.
 「こういう場合は何と答えるべきだったのでしょうか」と.
 霜田先生はこう教えた.
 「國分君,そういう問題は心理学になじまない問題である.君の人生哲学を丸出しにして答えたらよいのだ」と.
 これがその後私が,実存主義や論理療法や仏教など思想,哲学に関心を持つようになったきっかけであった.
 今考えてみると,当時の私は理論中心のカウンセラーであった.
 理論に人を当てはめようとしていた.
 クライエントに合う理論や方法を選ぶという老婆心がなかった.
 来談者中心という美名のもとに理論中心の面接をしていた.
 こういうにがい思いがあったので,その後アメリカに留学したとき,ためらいもなく折衷主義・統合主義をとり入れて自分のカウンセリング・モデルをつくることにしたのである.
 特定の理論を信奉することによって,クライエントに心ならずも交差的交流をしてしまったことにこりた私は,理論志向のプロフェッショナル・アインデンティティ・(例;フロイディアン,ロジャーリアン,ラショナルセラピスト)はとらなかった.
 カウンセリング・サイコロジストが今の私のアイデンティティである.

 

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「死の町」から「再生の町」へ ……理解できないマスコミの報道姿勢 [諸々の疑問]

★ 2011年3月11日以前には活気にあふれていた町が,一人もいなくなってしまった状態を最適な言葉で表現するとしたら,それはやはり「死の町」のように思います.

★ いったい全体,「死の町」と表現したことの,どこが悪いのでしょうか?

★ 「休んでいる町」とか,「眠っている町」とでも言うべきだったのでしょうか?

★ 天災といった側面だけではなく,人災といった側面もあって「死の町」にしてしまったからこそ,何としてでも人の力で「再生の町」にしなければならないのです.

★ この頃のマスコミは,言葉尻をとらえては針小棒大に報道し,騒ぎ立てることしかできない記者ばかりが揃っているようで,非常に残念に思います.

★ これは,知識丸暗記型の受験競争を勝ち抜いてきた者を記者として採用し続けてきた有力報道機関の弊害かも知れません.
 
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